僕は小学生の頃、大好きだったおばあちゃんが、
お葬式で火葬されて焼けていく姿を覗き見てしまう、
という衝撃的な体験をしました。
「みんな最後は焼かれて灰になる」
「だから人が生きる意味なんて本当はない」
その頃から、そんな強烈な恐れに囚われてしまいました。
無邪気な性格は一気に影を潜め、
「周りの人は皆正しくてすごい人」
「僕は全部間違っていて何の価値もない」
頭の中で自己否定の言葉が鳴り止みませんでした。
だからこそ、周りの人のことが大好きで、同時に羨ましくて心底憎らしい。
そんな風に思ってしまうものだから、
最初は側にいてくれた人も、
どんどん離れていってしまいました。
そのことですら、こう思っていました。
「大好きになった人が死んで灰になるくらいなら、僕に近づかない方がいい」
まるで自分が死神になったようでした。
大人になった僕は、それでも徐々に人の暖かさに触れていきました。
何の疑問もなく僕の暗い性格を「個性」として受け入れてくれる人たち。
そんな優しさに触れて、僕は自分の「弱さ」や「醜さ」「暗さ」を、
個性として受け入れられるようになっていきました。
人のことを愛せなかった僕が、まず自分の「弱さ」を愛することで、
徐々に子供の頃の無邪気さを取り戻せるようになっていったのです。
すると不思議なことに、
気がつくといつの間にか
僕を愛してくれる人が現れ、
家族ができて子供が生まれ、
大切な友達やお客さん達がいてくれて、
僕も一人ひとりに愛と感謝で接することが
できるようになりました。
結婚式のためにお互いの親族が集まった場のことを、
今でもよく思い出します。
昔の僕たち(僕と奥さん)は、
人を幸せにすれば自分も幸せになれると思っていました。
だけど人のためにと思ってどんなに尽くしても、
最後には失敗して迷惑をかけ、
家族や親族にもいつも心配ばかりかけていました。
でも結婚によって、
「自分たちがまず幸せになろう」と決意しただけで、
家族も親族も皆、自分のことのように喜び、
幸せを感じてくれていたんです。
親戚のおじさんは、年に一度合うか会わないかなのに、
そんな僕の幸せを号泣しながら喜んでくれました。
この体験は衝撃でした。
人を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになること。
人に愛されたいなら、まず自分が自分をとことん愛すること。
それが、僕が得た人生訓です。
この体験を、絵本にしてくれた方がいます。
僕が朗読しています。
ちっこいアラタの物語
https://youtu.be/kyf-KcGKF5w
スライドにもなってます。
ちっこいアラタの物語
http://www.slideshare.net/arata0914/ss-39697414
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