なぜ自分を愛することが大切なのか

こんにちは!

心理カウンセラーのARATAです。

今日は少し自分の体験を告白します。

少しショッキングな内容かもしれませんが、よかったら読んでください。

僕は小学生の頃、大好きだったおばあちゃんが、お葬式で火葬されて焼けていく姿を覗き見てしまう、という衝撃的な体験をしました。

今ならその頃の自分がPTSDと分かりますし、れっきとした児童虐待にあたるようなことですが、父の教育方針で、人の行く末を見ておいたほうがいい、と言われたように記憶しています。

一時は恨みこそすれ、そのおかげで今の道があると思うと感謝の気持ちが湧き上がります。

それにしても

「みんな最後は焼かれて灰になる」
「だから人が生きる意味なんて本当はない」

そんな小学生の頃から、恐れや無価値観に囚われてしまいました。

すると無邪気で人懐こかった性格は影を潜め、

「周りの人は皆正しくてすごい人」
「僕は全部間違っていて何の価値もない」

だからこそ人のことが大好きで、同時に羨ましくて憎らしい。

そんな風に思ってしまうものだから、最初は側にいてくれた人も、どんどん離れていってしまいました。

そのことですら、こう思っていました。


「大好きになった人が死んで灰になるくらいなら、僕に近づかない方がいい」


まるで自分が死神になったようでした。

大人になった僕は、それでも徐々に人の暖かさに触れていきました。

何の疑問もなく僕の暗い性格を「個性」として受け入れてくれる人たち。

そんな優しさに触れて、僕は自分の「弱さ」や「醜さ」「暗さ」を、個性として受け入れられるようになっていきました。

人のことを愛せなかった僕が、まず自分の「弱さ」を愛することで、徐々に自分らしさを取り戻せるようになっていったのです。

すると不思議なことに、僕を愛してくれる人が現れ、家族になって子供が生まれ、大切な仲間や友達、お客さん達がいてくれて、僕も一人ひとりに無制限の愛を与えることができるようになりました。


結婚式のためにお互いの親族が集まった場のことを、今でもよく思い出します。

昔の僕たちは、まず人を幸せにすれば自分も幸せになれると思っていました。

だけど人のためにと思ってどんなに尽くしても、最後には失敗し、家族や親族にもいつも心配ばかりかけていました。

でも結婚によって、「自分たちがまず幸せになろう」と決意しただけで、家族も親族も皆、自分のことのように喜び、幸せを感じてくれていたんです。

親戚のおじさんは、年に一度合うか会わないかなのに、そんな僕の幸せを号泣しながら喜んでくれました。

この体験は衝撃でした。


人を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになること。
人に愛されたいなら、まず自分が自分をとことん愛すること。

それが、僕が得た人生訓です。

その頃の体験を絵本にしてくれた友人がいます。プロフィールに載せたのでよかったら読んでみてください。

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