【ご感想】ARATAさんのワンディで体験したこと

ココロカードを選ぶとき最初は慎重に引こうとしました。
でも、「いや待てよ、どんないい加減な引き方をしても自分に無縁なものは出てこないに違いない」と考え直して、リラックスして引いてみました。
半分近くは意外な言葉が並びました。なかでも、『不満』と書かれたカードが真ん中に置かれていて、こんな言葉がわたしの人生とどんな縁があるのだろう、と最初は不審に思ったくらいでした。
この言葉は自分の目指す生き方にふさわしくない言葉なのに、なんでまた9枚のカードの、ど真ん中に鎮座しているのかしら?
でも、ARATAさんの説明を聴き、続けてのボディワークで摩訶不思議な体験をしたことによって「ハッ!」としたのでした。
横になっていると、なんと自分がお葬式をしてもらっている感覚になったのでした!!
私は若い頃から、自分が息途絶えて死ぬという日がいつか来ることを想うことが多かったのです。
人間なら死んでしまう時がいつか来る。
それは仕方ないこと…とわかっていても、それが怖くて恐ろしくて認められない…
「死ぬなんて絶対イヤ!何も成し遂げないうちに死ぬなんて悲し過ぎる」
と思っていました。(故に、死ぬことを意識してイメージしてしまう…そんな自分がいたのです。)
「ハッ!」としたのは、「死にたくない」と思っていた真の理由がその瞬間わかったからなのでした。
わたしには『不満』があったのです。自分が『不満』をもっているなんて思いもよらなかったし認めたくないことでしたので、見ないようにフタしていたのだなぁ…とARATAさんのセッションでわかったのです。
8歳のときに、両親が本当の父母でないことが知らされました。兄と一卵性双生児の妹と三人兄妹でしたが、わたし達双子が1歳になったときに実の父母が離婚したのでした。
わたしは母の姉夫婦に養子縁組され養女になったのでした。
「養女って、何それ~!」
「もらわれたなんてヤダー!」
「双子をバラバラになんてしないで」
と本当は言いたかったことが、まわりに言える人がいなかったため、自分の心の奥底に『不満』として存在していたんだなぁ、と気づかされたのです。
17歳のとき、養父が外に愛人をつくり実の子どもを2人もうけていたことが、養母が亡くなってから発覚したことも、「試練の連続」そのものでした。
「わたしの家庭ってほんとメチャメチャなのね」
ということを思っても口には出せず、ただ耐えるばかりで…でも、心の『不満』は大きく広がっていたのです。
人からはわたしはよくこう言われます。
「とび抜けて元気ですね」
「いつも勉強していて、努力家ですね」
「何にでもチャレンジしていく
そのエネルギーはどこから出ているの?」
「なんでかしらね~?」と常に本当の答を伝えることができない自分がもどかしいようでした。
ARATAさんのセッションを受けて、やっとその解を得られました。
わたしは、『不満』だったのです。『不満』だったから、行動することで欠落したものをシャカリキ埋めようとしていたのです。
8歳の時に受けた宣告によって、当時は断崖絶壁から突き落とされ、下にあった箱にドスンと入ったら上から蓋をされ、真っ暗なままどこにも抜けられず、ずっと何年も過ごしてきたようでした。
でも、不満だなんて言っちゃいけない、お母さんだって耐えて生きているんだろうし、養父養母はわたしをもらってくれたんだし、なんの不満も言っちゃいけないんだ・・・と思っていました。
養父が不義をしたときも、わたしをもらってくれた人なんだから文句を言っちゃいけないんだ・・・と感じていました。
わたしが「死」を意識するのは『不満』のまま死を迎えることがイヤだったし、そんなことで大切な一生を終わらせるなんてことを受け入れられなくて、それで「死」のことをいつも考えてしまうようでした。
ARATAさんのセッション中に起きていたお葬式は、でも心安らかでした。あぁ、こんなに安らかなものならば死も決して恐ろしいものなんかではないのかもしれない、と思えました。
「死を体験したのなら、これで、この先何を体験しようとも怖いものはないはずです」と、ARATAさんからは背中を押していただきました。
最後に胎児のポーズをとった時は、これまでの『不満』がきれいに流されました。「私もお母さんのお腹の中では胎児だった…こういう時を経てこの世に生を受けてきた。それを思うと不満をもつなんてとんでもないことで、感謝しかないじゃないの」と心から思えました。
今まで長いあいだ解明できなかったことが、葉山で光にあてられ、水に流されました。ココロカードにもあった新たな『旅立ち』をして、『慈愛』へと向かうことができます。
ARATAさんのセッションを受けて生まれ変わることができました。
ありがとうございました。

(さとう幸子)

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